庭がつないでくれた

 

前の日誌では、庭の生き物を紹介しているうちに手が止まってしまった。

 

書こうとしていたのは、アリ、青虫、アブラムシ、カメムシ。
いわゆる「害虫」と呼ばれる虫たち。

 

 

 

でも、害虫……って本当にそう?
私は本当にそう思っているんだっけ?

 

最初に虫たちを見たときは、「ぎょえ〜!」と正直思った。
植物が苦しそうに見えたり、作物ができなくなってしまうかも……と不安になったりして。

 

だから虫除けスプレーを作って使ったりもしている。
(でも、たいして効かなかったりする)

 

「スプレーだけじゃダメよ、ペットボトルに入れて駆除しなきゃ」と言われても、
「え〜!?大自然の中にいるんだから、また来るし?」って、心の中では思ってた。

 

人間の取り分が少し減るくらいなら、まあいいかな。
お互い様だし、同じ場所を共有して生きているんだからって。

 

 

 

そんなふうに思いながら、庭のことを思い出していた。

 

4月からの4ヶ月間、
私は植物の生命力を間近に感じて、圧倒されてきた。

 

芽吹かない、育たないことももちろんあるけれど、
一度勢いに乗ったときの成長パワーは、本当にすごい。

 

その成長のタイミングをちゃんと知っていて、目がけてやってくる虫たち。

確かに、葉っぱが食べられて見た目が悪くなることもある。


でも、それで植物がダメになるわけじゃない。

むしろ、なんでも包み込んでいくような、植物の強さを感じる。

 

その葉だけ、その植物だけを見れば、傷ついて見えるけれど、
全体を見れば、植物たちはたくましく、虫たちを受け入れているような、
自由で、オープンで、豊かで、勢いがある。

 

「害虫」って、
人間が「自分が食べるより先に食べられる」から敵だって言ってるだけだよね。

 

 

 

そんなことを考えていたら、前に聞いた言葉がふっと浮かんできた。

 

「植物は食べられたがっている。
 食べられることを、嬉しいと思っている。」

 

そのときは「へえ〜そうなんだ」と思っただけだった。
でも今、あの言葉が、感覚の中にすとんと落ちてきた。

 

 

 

そしてもう一つ、思い出す話がある。

「もし人が突然、地球から一人もいなくなったら?」という仮定のシミュレーション。

 

3日後には都市の排水システムが止まり、街が壊れはじめる

1年後には植物の浄化作用で空気が澄み渡り、PM2.5やスモッグも消える

数百万年後には、多様な動植物が回復し、地球は再び森に覆われる

 

地球を最も汚している私たちがいなくなったら、
たった1年で、浄化された美しい星に戻る。


驚くほどに。

植物には、地球の多様な命を再生させる力がある。
(ここで「本当の害虫って誰?」とツッコミたくなるけれど、それは今は置いておく)

 

 

 

植物の持つ、その圧倒的なパワーが、感覚の中にブワッと流れ込んできた。

 

私たちの命は、彼らに支えられている。
植物は、太陽の光を物質化し、空気を浄化し、命の土台をつくってくれる。

 

虫たちは植物を求めて集まり、
その虫を食べる生き物がいて、さらにそれを食べる動物たちがいる。

 

私たちも、その大きな循環の一部。
地球上のすべての生命は、植物に支えられている。

 

(共生という生き方から逸脱しているのが私たちだという事実も、今は横に置いておく)

 

植物たちは、自分たちが命をつなぐ栄養であることを知っている。
そこには、圧倒的な「愛」と「つながり」が満ちている。

 

さっきの、「植物は食べられたがっている。食べられることを嬉しいと思っている。」という言葉が、感覚の中に深く混ざり合っていく。

 

本当に、そうなんだと。

 

 

 

そしてもう一つ。

植物は、地下に、地上に出ている何倍もの広がりで根を張っている。

その根は、菌たちともつながりながら、植物同士がインターネットのように情報をやりとりしているという話。

 

そんなことまで次々と思い出して、全てが感覚の中で繋がっていく。

 

 

 

植物がいる世界に生きている自分の感覚が、変容していく。

 

自分が小さな小さな生き物で、
地球という星で、植物たちに命を守られて生きているという体感。

 

自分が、全体の一部であると感じられること。
この上ない平穏で、豊かさそのものに包まれる。

 

 

自然の中で、自分の中の「基準」があいまいになっていく。

 

幼虫が蝶になるとき。
さなぎの中では、一度細胞がドロドロに溶け、まったく新しい姿に生まれ変わる。

 

この庭で過ごすなかで、
私は何度も、自分の境界線が溶けていくような体験をしてきた。

自分がほどけていく。消えていく。

 

 

ジャコウアゲハの存在が、導いてくれているのだと感じる。

 

 

自分という「個」としての存在を生きながら、
同時に「全体」としての自分に触れていく。

 

健康=ヘルスという言葉の語源は、「ホール=全体」。
全体性を取り戻すことが、本来あるべき姿や健やかさへとつながっていく。

 

 

ジャコウアゲハが、転生をくり返すこの庭で

目に見える体験も、目に見えない体験もすべてが、
これまでの自分と、静かに溶け合っていく。

 

私は間違いなく、この庭に育ててもらっている。