
藤沢にいると、季節を気温や湿度だけで感じるようになっていて、四季が崩れ、秋がどこかへ行ってしまったような感覚になる。
けれど笠間の自然の中に来るたびに、季節は確かに存在していて、その時季だからこその命のサイクルがあることを教えてもらえる。
それを五感を通して、分からせてもらえる優しさがある。

前回来たときには、庭から夏の疲れを感じていた。
ナスやピーマンは実をつけなくなり、花たちも力なく、このまま淋しい冬に向かっていくのか……と漠然と思っていた。
ところが今回(2週間も経っていないのに)、庭は一変。

「えっ!!みんな、みずみずしい!おいおい!元気じゃ〜〜ん!」
ナスやピーマンは生き生きと枝を伸ばして成長し、たくさんの実をつけていた。
終わりかと思っていたマリーゴールドも、驚くほど勢いよく花を咲かせていた。
庭の端には、初めて見る可愛らしい小さな野花たち。
なんだか、様子がすっかり違う!

散歩に出て、いつもの農道に入った途端、目に飛び込んできたのは、初めて出会う小さな小さな花。
「え〜!!この前までなかったじゃん!」
「何、この子たち!すんごいかわいいんだけど〜!」
「え〜!なになに!」

静かな農道で、場違いに、すっとんきょうにはしゃぐ私。
すぐ横に目をやると、また違う可憐な花。
「え〜!ここにも!」「こっちも!」と、次々に驚きの出会いが待っていて、こんなに感動の連続になる散歩は初めてだった。

老眼の目では細部は見えないほど小さな花。
けれど、それぞれが独自の形を持ち、美しい色を放っていて、どんなに小さくても完成されている。
もう――存在そのものが美しい、存在そのものが完璧。
静かに咲いている秋の野花たちに、ただただ圧倒された。

秋の花。
そう、冬を迎える前に次の世代へつなぐため、花を咲かせ、タネを残すんだよね。
庭の野菜だって、夏の厳しい暑さが落ち着いた今こそ、タネを残すために花を咲かせ、実をつけているんだ。
植物の命のサイクルの中で、私たちはその「お裾分け」をいただいて命をつないでいる。

占星学では、星も生命体であり、それぞれテーマを持って生きているといわれる。
わたしたちの地球は「女性性」を帯び、そのテーマは「母性」。
だからこそ、驚くほど多くの命を抱えている。
微生物、植物、動物……良いも悪いも受け入れて育んでいる。

すべての「いのち」に、細部にまで愛と、完璧な設計図が与えられている。
この秋の小さな野の花たちが、それを実感させてくれた。
私たちも、この地球に生まれた時点で、すでに完璧なんだ。

それなのに人間は「自分はダメだ」「もっと頑張らなくては」「今のままではいけない」と思い込む。
他と比較することで「自分には足りない」と錯覚し、自分の完璧さを忘れてしまう。

「自然」=「母なる地球」と共に過ごす時間は、癒しだけではなく、多くの気づきを与えてくれる。
まさしく、自分はこの地球に育まれているのだと感じた秋の日だったんだ。
